脳動静脈奇形破裂による脳出血での闘病記

私が身体障害者になったきっかけはもともと脳動静脈奇形なる血管の奇形が脳にあったことが原因で先天性だそうです。

破裂する前の夜ブティックハンガーを捨てるのに縮めようとしてねじ式のパイプを力を入れて緩めていましたが結局緩めづじまいでした。

その時におそらく血管が破れて少し出血していたのでしょう。

パイプを緩めるのをあきらめトイレに行って寝ることにしましたが、トイレに行くのにあっちにぶつかり、こっちにぶつかりと、真っすぐ歩けずおかしかったのですが、別に痛くもないのでそのまま寝ました。

朝起きると別に痛いとか、具合が悪いとかは無いのですが、食欲もなく、タバコも吸いたくないのです。

何かがおかしいのです。

気にはなりましたが、仕事は休めないと思い階段を降りて、車を運転して少しばかり走ったところで現場に電話して今日はちょっと病院に行きたいと言って休みました。

それで家に帰ってきて嫁に病院に連れて行ってもらいました。

病院に付き診察に呼ばれて、健康診断の結果を持って診察室に入りました。

するとせっかくだから色々検査しましょうと言われその通りにしました。

大きい病院ですから混んでいました。

検査もMRI、CT、エコー、他にも1つ検査をして、全ての検査4つを終えて待合室で待っていました。

すると担当医があっちに行ったりこっちに行ったりと慌ただしく動いていました。

「ずいぶんちょろちょろする先生だな~」と思って椅子に腰かけていると吐き気を模様して、トイレまで行き吐いていました。

すると吐いたとたんぐるぐる目が回り立てなくなり助けを呼びましたが、鍵がかかっていた為「この状態じゃ鍵がかかっているから助けたくても助けられないな~」って思い壁にしがみついて鍵をはずしました。

と思ったら今吐いた物がそのままだって気づきトイレを流さないと汚いの見られると思い這いつくばって流して、助けを呼びました。

看護婦さんが大勢来て私は1,2,3と掛け声でストレッチャーに乗せられ「あっテレビドラマと一緒だ」って妙に落ち着いていました。

ストレッチャーでどこに運ばれたかは覚えてなく担当医に後頭部が痛いって叫び気を失いました。

緊急開頭手術

私はストレッチャーで運ばれてから気を失ってそれからの事は覚えていません。

私が倒れたので親とか兄弟など集まって来たらしいですが、手術に入るのにもの凄く検査で時間がかかり顔も紫色になって来たらしいです。

「さっさと手術しないと死んでしまう」と思ったらしいですが、今考えると出血している場所が今までと変わらないって保証はないですから・・・

9時間半の大手術だったそうで、手術後も水頭症になるかもしれないって言われたそうです。

死ぬ確率は30%だとか、色々書かされ手術が先で書くのは後回しだそうです。

手術が凄いのは麻酔をかけて手術中は痛くないのに終わった瞬間声をかけたら返事をすることです。

私は返事をしたのも記憶が無く、それから約1カ月まだら覚えである。

手術が終わりICUに途中経過が全く覚えていない

ICUにいるってことは助かった見たいで、まだ予断は許さないそうですが・・・

手は縛られ頭に色んな管が通っているから無意識にその管を抜かないように縛っているらしい。

でも顔とかかゆい時あるよね・・・どうするのだろう・・・そんなことどうでもいいのか・・・

まだICUにいる時からリハビリの先生が来ていましたが、寝てて管も刺さっているのに何をするのでしょう。

私は記憶が無いので後から聞いた話です。

でも気を失ってから三途の河は見えなかったな、まだ死ぬとかまで行っていなかったのかな。

面会に来ている時は手を縛っているひもをほどいてくれるそうです。

さっそくタバコを探すしぐさをしたらしいですが、全く私は覚えていません。

ご飯を食べさせてくれる時も看護婦さんだったら文句言わんのに嫁なら「お前速い」とか文句言うみたいです。

私は全く覚えていないので本当かどうか?

また10日ぐらいいたICUから急性期病棟に移動らしいです。

ICUから一般病棟に移る前の病室みたいです。

そこではひっきりなしに100ー7はとか93って答えるとまた93-7はって何時までも7を引くんです。

あと今の総氏大臣はとか記憶が確かとか調べているのでしょう。

ここでの看護婦は仕事の出来ない人が居て、身の上話をしているのです。

こちらは死ぬかもしれないって寝ているのに慣れてて患者の事より自分のことです。

私は怒鳴りつけて「話をするんだったら違う所に行ってくれ」って・・・

私が倒れたのが7月の24日ですから嫁がお墓参りにお盆に行った時電話がかかってきて一般病棟に移動になったって病院からの電話でしたが、一瞬死んだと思ったらしいです。

いよいよ一般病棟ですがここからは記憶がしっかりしています。

私は小脳出血ですからご飯だっていうとベッドを起こされ体が起き上がると吐いていました。

だから横になったままご飯を食べていました。、

最初は悪い方だったのでナースステーションから1番近いとこに病室がありました。

トイレに行くのにナースを読んで車椅子に移るのに立ちあがったのですが、この年になって立っただけで拍手が来たんですよ・・・

それから歩行器を使って歩く練習していたら病室を変わってくれって・・・

1つナースステーションから遠くなりましたが、そこでの入院生活は長い物でした。

記憶もしっかりしているので長く感じますが、目が複視というかダブルビジョンっていうのか、もの凄く疲れて面会に来ていた妻が帰ると夜にナースが薬を持って回ってくるのですが、それを待たずに寝てしまいます。

後遺症は随分と残りました。

小脳出血の後遺症

まず目まい、右の半身麻痺、コントロールがもの凄く悪い、ふらついて真っすぐ歩けない、ダブルビジョン、言語障害、味覚音痴は甘さだけわかりません。

全て動きますからこんなにひどいとは皆思っていなくビックリしていました。

治って欲しい順番がありました。

ダブルビジョン、右半身のコントロール、言語障害、最悪治らなくてもいいやって思っていた味覚が1番最初に治って、後はもう10年過ぎましたがまだ治ってません。

ダブルビジョンはだいぶ良くなりました。

私は倒れるまで油圧式パワーショベルに乗っていましたが、回ったら吐くようなら乗ることは出来ません。

その前に身体障害者だから現場に入れません。

さらに病室が変わり7月に入院したのに退院は2月末です。

2月の28日まで入院していました。

まだ北海道の冬は終わっていません。

こちらから個別に書いた記事がありますので見て行ってください。

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